No.0355 レーベルで音楽を聴く、ということ。【off note篇】 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

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僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。

 
シリーズ記事『レーベルで音楽を聴く、ということ』。今回はネオ・アコースティックな音楽から遠く離れて。お洒落とは無縁の。お金儲けのことなど考えず(多分)、日本の原風景や日本人の暮らしや感受性をシンプルに。だけど愛をもってそれを深く見つめながら、音楽と真摯に向き合い続けている、(94年に設立されて現在も活動している)日本のインディレーベル『off note』のこと。
 
もともとは90年代の初めに存在したレーベルで、JAGATARAのサックス奏者だった篠田昌巳が率いたコンポステラ【Compostela】やチンドン屋さんのフィールド・ワークなどをCD化して制作、リリースした『puff up』(ディストリビュートはVivid Soundだった)が元になっているような気がする。そして90年代の初め頃に『puff up』がなくなってから、その後を引き継ぎ、篠田昌巳周辺の音楽や、同じような匂いがする、とても個性的な音楽を現在に至るまで精力的に出し続けているレーベルこそが『off note』なんだと思ううーん
 
今回は地味だし、華がなくて何だけど…ぶー。僕にとってはとても大切なレーベルなのだから仕方がない。

僕自身は。1990年にコンポステラのアルバムを初めて聴いて、その音楽が大好きになり、同じような匂いがする音楽と出会いたくて『puff up』をレーベル聴きしながら、同時期に東欧のジプシー音楽「クレズマー」(今でいうロマ音楽)やサーカス音楽、キャバレー音楽、ジャマイカのオーセンティックなスカなどのブラス音楽にどっぷりとハマっていった。そういうことでごく自然に『off note』の音楽にも違和感なくスライドしていったという訳だ。

『off note』の音楽は、チンドン的なものやブラス系のもの、ロフトジャズやオーセンティックなフォークに加えて、沖縄音楽とさまざまな音楽をごった煮的にミクスチャーしたものまで。マーケティングでは決して生まれこない、とても面白いラインナップが並んでいる。

当時の僕はそういった音楽にかなり入り込んでいた訳だけれど、誰かと共有することはできなかったし、その音楽に纏わる、ロマンティークで甘酸っぱい話は、何もないぐすん

因みに。レーベルのアルバム・カヴァーの写真は、永年に渡ってフランク・ザッパやボブ・マーリー、ジョー・ストラマー、アルバート・コリンズやO.Vライト、高田渡や細野晴臣、大瀧詠一、忌野清志郎、江戸アケミ、どんと、山口富士夫まで、書ききれないほど数多くのミュージシャンの写真を撮ってきた桑本正士(2016年没)が担当していて、実に味のある独特の雰囲気を醸し出してくれたんだ。
 
📷️そのようなことで。まずは桑本正士の写真集「幻植物園」と彼が撮ったミュージシャンの写真を少し。『off note』の音楽と共振し合っている。

📷️桑本正士の写真展のポスターから。沖縄音楽の重鎮、登川誠仁【Seijin Noborikawa】のポートレイト。
📷️ザ・バンドのピアニスト、リチャード・マニュエル【Richard Manuel】。

📷️珍しいところで。ピチカート・ファイヴのファースト・アルバム『カップルズ』のフォト・セッションの時の写真を。当時のメンバーは佐々木麻美子、小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒。後に『カップルズ』の曲を12inchのアナログでリリースする際に小西康陽がカヴァーに使った。

それでは流れ上、『puff up』レーベルからリリースされた音楽をアルバム・カヴァーと共に。

音譜コンポステラとは「星の原っぱ」という意味で、ルイス・ブニュエルが69年に撮った映画『銀河』に出てくるスペインの巡礼地「サンティアゴ・デ・コンポステラ」【Santiago De Compostela】から名付けられた。アルバム『COMPOSTELA』と『1の知らせ』から『オーバー・チューン~ニシキのまだ来ない朝』、『くつやのマルチン』、『僕の心は君のもの』。





音譜渡辺等とHililipomのアルバムから『バスケット・ロンド』。14世紀頃にアジア中部に存在したと言われる管弦楽団「ヒリリポン」からその名が付けられた。


音譜ムーンライダースの前身バンド、「はちみつぱい」のメンバーだったペダル・スチール奏者、駒沢裕城のソロ・アルバム『Feliz』から『風の散歩』を。


音譜そして、チンドン屋さん「長谷川宣伝社」の演奏をフィールド・レコーディングしたアルバム『Tokyo Chin Don』。

雰囲気を味わってもらうために。毎年、開催されていた「全日本チンドンコンクール」での演奏を。昔はごくたまに町中で実際にチンドンの生演奏が聴けたのになぶー。チンドンの皆さんが今、コロナ禍でどうされているのかとても心配だえー?


レーベルの話ではないけど。「ニューミュージック・マガジン」の元編集長であり、民族音楽の権威でもあった中村とうようが監修し、篠田昌巳らの演奏による世界のブラス音楽を集めた『Brass Around The World~ブラスは世界を結ぶ』は素晴らしいアルバムだった。音源が挙がってないので、せめてアルバム・カヴァーだけでも。

 
さて。94年に創設されたレーベル『off note』のこと。コンセプトは「自由な表現」と「音の力」の両翼で〈予兆〉と〈記憶〉の間を自在に翔ける前未来音楽。それではその音楽を聴いていこう。

音譜87年に篠田昌巳のサックスと西村卓也のベースだけで行った街頭録音の「記録」であり「記憶」。曲は『素敵なあなた』。


音譜フェデリコ・フェリーニが撮った傑作映画『道』の原題から付けられたストラーダのアルバム『テキサス・アンダーグラウンド』から『Lagu Daerah Tapanulii』。メンバーの、トロンボーンの中尾勘二とチューバの関島岳郎はコンポステラのメンバーであり、『off note』の音楽には欠かせないミュージシャンである。


音譜レーベルとは別に。関島岳郎が中心になって活動しているリコーダーのアンサンブル・グループ、栗コーダー・カルテットによる、ピンクレディの『サウスポー』を。PVが面白い。


音譜「はちみつぱい」のボーカリストだった渡辺勝のバンド「エミグラント」の『あなたの船』。


 音譜60年代にフォークシンガーとしてデビューし、京都・河原町の老舗の喫茶店「六曜社」(僕は何度も足を運んでいる)のマスターでもあったオクノ修が『off note』で復活した。曲は『ランベルマイユコーヒー店』。

音譜もう1曲、オクノ修の『春』を。


音譜すべてはここから始まった。『off note』からリリースされた最初のアルバムは大工哲弘の『Okinawa Jinta』。沖縄音楽と中尾勘二、関島岳郎らによるブラス音楽がミクスチャーされた、その音楽は、あのソウル・フラワー・ユニオンにも影響を与えた。曲は『マクラム道路』。

音譜同じく大工哲弘の傑作アルバム『蓬莱行』から『ハートランド』と『安里屋ユンタ』を。


音譜さらに大工哲弘をもう1曲。アルバム『Jinta International』から『インターナショナル』。


音譜野戦の月楽団のアルバム『野戦の月』から『バンブーゴスペル』。


音譜ヴァイオリンやアコーデオンなどのマルチ・プレイヤーである向島ゆり子と中尾勘二、関島岳郎によるユニットのアルバムから『煙』。


音譜向島ゆり子のソロ・アルバム『Right Here !!』から『Milomba』。このアルバムにはスケルトン・クルーのチェロ奏者トム・コラやウェイン・ホーヴィッツ(piano)、サム・ベネット(per.)ら、アヴァンポップの異才たちが参加している。


音譜鈴木翁二のアルバム『ダ世界~地球へ下りて行こう』から『ダ世界Ⅰ』。鈴木翁二は伝説の漫画雑誌『ガロ』の漫画家でもあった。

🎨鈴木翁二の漫画とイラストを。



音譜上野茂都のアルバム『あたま金』から『嗚呼オフノート』を。


音譜梅津和時のアルバム『First Deserter~最初の脱走兵』から『いつだっていいかげん』。


音譜小暮はなの無垢なアルバム『鳥になる日』から『君に捧げる唄』。


音譜水晶【Miaki】のアルバム『ソラノオト』から『台風』を。


音譜船戸博史のバンド「ローフィッシュ」の曲『Katse』。


音譜90年頃にオクノ修が結成していたバンド「ビートミンツ」の『ウォンポンポポン』を。


『off note』の別レーベル『華宙舎』では、「あきれたぼういず」と川田義雄のソロ音源や、大正から昭和初期にかけての日本のジャズをコンパイルした壮大なCDシリーズ『ニッポンジャズ水滸伝』、そして『ミソラ』レーベルでは宮川左近ショーの浪曲歌謡など、貴重な音源もリリースしている。


音譜最後は。『puff up』や『off note』の音楽と並行して聴いていた、イタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニが撮った映画の、音楽を担当していたニーノ・ロータのスコアをジャズ・ピアニスト、ジャッキー・バイヤードが演奏した『アマルコルド』と、『8 1/2』のテーマ曲をオリジナル・サウンド・トラックで。

🎦『8 1/2』のポスター。


今回、紹介したレーベル『puff up』と『off note』の世界は、謂わば、現在の人たちが忘れてしまったり、忘れようとしていたり、忘れさせようとしている『昭和』的な世界の集約であり、郷愁なのだと思う。

そしてまた。(僕の主観に過ぎないけれど)「臭いものにはフタをする」的な、見かけだけをキレイにしようとする街づくりや、機能や効率だけを追求し、無駄だと思われるようなものをすべて淘汰し、排除しようとしている価値観に対する緩やかなアンチテーゼでもあり、ある意味、リアルを写し出しながら、「未来の予兆」を感じさせてくれているのだと。

やっぱり。機能性や効率性から外れた、一見、時代遅れとか、無駄だと思われるものや時間に実は有機性があり、とても大切な価値があるのだと、(確信はないけど)僕はそう思っている。

それでは、また。アデュー・ロマンティークニコ