黒田長政の次女、すなわち忠之の妹は名を『徳』と言い、
容貌優れ、美人のほまれ高かった。
また、その心ばえもあでやかであったので、
彼女のことは世間でもよく知られていた。
そこで徳川秀忠並びに御台所(お江の方)は、彼女を嫡男・徳川家光の夫人とするように、
土井利勝を通して黒田長政、並びにその内室に仰せ下した。
これは秀忠が黒田長政を、家光の後見としようとした為であった。
ところが、徳の生まれは丙午の歳であり、世俗ではこれを忌まれているため、
長政もそれをおもんばかり、仰せを受け入れなかったため、
この話は無き事になった。
その後、この徳姫は、寛永元年(1624)に榊原式部大輔忠次に嫁ぎ、
翌年正月、女児を産んだが、産後体調を崩し、享年20歳にて亡くなった。
その息女の名は『萬』。
彼女も8歳で早世された。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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