黒田長政の晩年、病状が既に甚だしい時期、左右の者たちにこのように語った。
「私が今、死に臨んで残念なことが3つある。
一つは我が母に先立って死することだ。これは不孝である。
二つには、嫡子忠之が現在弱冠であり、
歳が長じて国を治めることを見ること無く死することである。
三には、私は幼年の頃から戦をし、関が原に至るまでその功は多かった。
しかしその間小身であり、大軍の将にはなれなかった。
その上若年でもあり、合戦についての知識や経験も未だ熟していなかった。
それ以来、兵に将たる工夫も熟し、特に、その後大国を賜ったため、
現在は2万の士卒の将となった。
これを普段からよく調練し、また戦に臨むため節制も厳粛にしており、
軍の進退左右は、必ず心のまま自由に出来るようになった。
私はこの士卒を使って、合戦を試みたかった。
この他には、浮世に思い残すことはないよ。」
長政の辞世の句は、以下のものである。
『 此ほどは うき世の旅にまよひきて
いまこそかへれ あんらくの空 』
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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