大阪の陣が終わったにも拘らず、黒田長政は江戸に留め置かれていた。
幕府にしてみれば、家康が死んだ直後であり、
豊臣恩顧の大名でもある長政を警戒したのか、
なんと長政が筑前に帰ったのは、豊家滅亡の5年後であった。
さて長政。
久しぶりに筑前に帰って来れて気が緩んだのか、我侭な振る舞いが目立つようになった。
家老達も、
「ちょっと羽伸ばしすぎじゃね?」
と思ったが、冬の陣以来、江戸に留めおかれて気苦労が募っていた殿様を不憫に思ったか、
誰も諫言しなかった。
そのうちに、江戸に参勤する時期が来たので、仕置家老である小河内蔵允に、
「今度参勤する時に、将軍様を初めとして幕府のお歴々にプレゼント贈るから、
栗山大膳と相談して、目録を提出するように。」
と、命じた。
10日ほどたったころ、目録の提出を求めた所、内蔵允からはまだ出来ていないと言う返答。
これに長政は不快に思ったが、さらに20日ほど待って提出を求めた所、
またしてもまだ出来ていないと言う返答に、遂にプッツン。
「お前、家老の仕事を何だと心得取るんじゃ!」
これに対し、小河内蔵允の返答曰く。
「いやぁ、私が選んだ物じゃあ幕府の皆さん喜びませんよ。
ここは殿様が選んだ方がいいですよ。」
「・・・・・・・・・舐めてんのか? お前は?」
長政、刀を抜きかねないほどの怒り様。
しかしここで、小河内蔵允の本領発揮。
「恐れながら、当家の幕府への贈り物は、宝物ではなくて、
殿様の行状を改めることにございます。
幕府は殿を筑前にお帰しいたしましたが、それは江戸で隙を見せなかった殿に対して、
国許ならば、隙を見せるのではという狙いがありましょう。
未だ幕府は、殿や加藤嘉明殿、福島正則殿に対する警戒を解いてはおりませぬ。
ここは殿の行状を改め、領内の安定に注ぎ、幕府に対する忠誠を折に触れて現すことが肝要。
進物は折を見て、時を見計らい、わざとらしくなく出せばよいかと。」
この進言に、長政も思い当たる節があったのか、内蔵允の忠言を聞き、
我侭な行動を謹んで領内安定に努めたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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