関ヶ原の戦いが終わり、徳川家康は、東軍諸大名への論功を進める中、
黒田長政に対してはその功を賞し、豊前を改め他国を与えると決めたが、
そこで家康は本多中務大補(忠勝)に、このように言った。
「甲斐守(長政)についてだが、彼には中国筋に2ヶ国も与えるべきか、
また筑前は九州都府の地であり、殊に異国からの防御のため大切の所であり、
私は甲斐守をそこに置きたいと思っている。
汝に甲斐守の所存を尋ねて来てほしい。」
そこで忠勝は、長政の元に行き、その内意を問うと、長政、
「豊前を改め大国を御恩賜あるとの事、誠にかたじけない事です。
殊に、都に近い中国にて2ヶ国は、最も望むべきことです。
ですが、おおよそ今後、天下は泰平となるでしょうから、
日本において、御恩を謝し奉る、弓矢の沙汰も起こらないでしょう。
一方筑前の守護は、古来よりの都府の地、
殊に異国からの防御のため、先鋒の場所でありますから、
武門の大望、これ以上のものは有りません。
であれば、筑前は中国にて2ヶ国拝領することに優っており、
我が願うところです。」
これを忠勝より聞いた家康は大いに喜び、長政に筑前を与えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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