慶長5年(1600年)8月21日、東軍は岐阜城を攻めるため、合渡川の渡川を決行。
いわゆる木曽川・合渡川の戦いである。
このとき黒田長政は、わざと敵陣の近い方に進んで川下の方に向かい、
合渡の宿の東、川端湊という所まで行ったが、その辺りは川の淀みであり、
水深が深く渡り難いものであった。
長政は川上に浅い瀬があると聞いて、士を少々召し連れて、
浅瀬の方を見ようと川上の方に二町ばかり戻ってみたところ、
何とそこから川上の方では田中吉政の先手の兵が、今から川を渡ろうと、
川端に足をかけているような状況であった。
これを見た長政は、
「田中に先を越されては言いがいもない!」
と、その場の、藤内瀬という場所から川に乗り入れた。
この時、黒田家の家臣たちは、川下の舟渡の場所に集まっていたのだが、
長政よりこちらに来いとの使いが来て、
我先にと長政の跡に駆けつけ、さしも深き大河を船もなく渡り始めた。
さて、半分ほど渡ったところで、川向に敵が数多く鏃を揃えて待ち構えているのが見えた。
しかし長政はこれにもひるまず、敵の多い方に向かって進んで行った。
家臣の後藤又兵衛はこれを見て、
「これは危ない。」
と思い、
『向かいには敵が多く鏃を揃えて待ち構えています!その脇の方に向かって渡りましょう!』
と言おうと思った。
が、長年の間、長政のいつもの勇気(無謀とも言う)を知っていたので、
敵が強いなど言えばなんとしてもその方に向かい、
脇に行くことはないと思ったので、
長政に向かってこう叫んだ
「どうして悪しき方に向かっているのですか!?」
長政これを聞くと、後藤の方へ、キッと振り向いて、
「なんだと!? 私が向かう方を悪しきとはどういうことだ!?」
「ただ今向かっている方向に待ち構えている敵は雑兵ばかりです!
良き敵は、あちらの方におります!」
と、敵の少ない方を指さした。
長政はこれを聞いて、
「ならば、良き敵の有る方に向かおう!」
そう言って敵の側面になる方向に向かって川を渡った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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