安田作兵衛は、明智光秀に使えた勇士であった。
京都本能寺にて、障子越しに信長に槍を付けたと言われている。
後に姓名を改め、天野源右衛門と号した。
彼が上方に浪人していた時、黒田長政はこれを召し使おうと思い、
彼を呼び下して一万石を与えて召し抱えたいという希望を、
父如水に相談した。
これを聞いた如水は激怒して、
「我が家には源右衛門に勝る勇士がいくらでも多く居る!
もし源右衛門を一万石で召し抱えれば、
我が家臣のうちにこれを恨みに思うものが多く出るであろう!」
と、甚だしく諌めたため、この事は中止となった。
その頃、唐津の寺沢志摩守(広高)が、
名のある武士を求めて居ることが聞こえてきたので、
長政の勧めで寺沢のもとに遣わされた天野は、
唐津において召し抱えられたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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