黒田如水は、常にこのように言っていた。
「奉公人は、身分の高下に関わらず、水練を心得ておきたいものだ。」と。
さてそんな如水、夏になると城下に流れる大川に行き、
その両岸に大綱をひかせ、自身は跛の足ながら尻からげにし、
綱を伝ってそこを往復。
深い淵の箇所では泳ぎ、彼と共に泳ぐものには、
「良き心がけである。」
と褒めたという。
これは若者たちに水練を習わせたい、
という如水の思いからのものであったが、
しかし如水は、決して家臣たちに、
「水練を習え。」
とは言わなかった。
ではどうしたか?
如水はしばしば、深い淵を隔てた対岸に居る者に突然に、
「誰々をこちらに来させるように!」
と呼ばせ、
泳がないものが、迷惑するように申し付けた。
(誰々を呼べとて、急に呼ばせ、泳がざる者、迷惑仕る様に申付く)
如水は、夏の間、そんな川狩を、4、5日に、1度はやっていたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!