黒田如水といえば、徳川家康や前田利家などとともに、
当時吝嗇と呼ばれた代表的な大名である。
そんな如水が、秀吉によって豊前中津川を与えられた頃のこと。
この頃、黒田家の家臣たちは、城に詰める者たちを除いた小身者は皆知行地に行き、
そこに小屋掛け同然の家を作り、百姓同様の暮らしをしたという。
そして米の初穂、あるいは手作りの野菜が出来たといえば、
如水へのお目見えの際、
少しづつでもこれを如水に献上すると、殊の外喜び、
「茄子などは最近になって取り寄せ植えたのだろうが、
実ってからも『早く太く育て、如水に見せるのだ』と、
朝も晩も心を尽くして育ててくれたのだろう、まことに執着である。」
などと心から感じ入った様子で言葉をかけた。
そんな中、雉、鳩、小鳥、あるいは鮎といったものを購入して、
如水に献上する者があった。
これを如水は喜ばないどころか、その者を叱りつけた。
「お前は恐ろしい曲者だ!
こんな物をわしに献上するのなら、
その資金で何故田畑を広げ、新田を開発しないのか!?
我らは主従の関係ではあるが、このように浪費させるのはお主の家に申し訳ない。
こんな物を貰ってもわしは喜ばぬぞ!
平素は慎ましく暮らしていても、
必要な時には人馬を違い無く軍役通りに取り揃え、
傍輩に遅れず乗り出してくるものを、わしは良き士、良き藝者だと考えている。
絶対に無駄な浪費はするな。
わしが若い頃、浪費が続いたため家計が逼迫し、
仕りたいような奉公も出来ず、非常に難儀をしたものだ。
身分の上下にかかわらず、自分の能力の限り勤めてさえ、
主人に気に入られるのは難しく、
また傍輩に褒められることも難しいこんな世の中で、
自分がこうするべきだと思ったことさえ、
経済的理由で断念し黙っていては、どうして周りから評価されるだろうか?
そのころ、
『貧の盗みに恋の歌』(貧しければ人の物を盗むようになり、恋をすれば歌を詠むようになる。
必要に迫られればどんなことでもすることのたとえ・デジタル大辞泉)という戯言を傍輩が言っているのを聞いたときは、よほどこいつと喧嘩してやろう、と思ったよ。
だがその時は、いやいやコレは俺のことを言っているのではない、
世にありふれた昔から使われている慣用句に過ぎない。
少しも腹をたてるべき物ではないぞ、と自分を説得しどうにかスルーしたのだ。
『貧の盗』などという言葉は今でもうかつに使ってはならぬぞ。
時と場合によってはその言葉が、士を傷つけることに成る。
とにかく浪費にはこんなに害が多い。
どうか油断無く稼ぎ、常に倹約し、身体が長く続くようにせよ!」
と、子供に教え諭すように聞かせたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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