黒田勘解由次官孝高は、黒田職隆の嫡子である。
母は明石氏、天文15年孝高を播州姫路に産んだ。
この時、雪が降って、その家を覆った、これは英雄の生まれる奇瑞であった。
また家門繁栄の前兆でもあったのだろう。
孝高は天性聡明、鋭敏にして才知たくましく、武芸も人に優れていた、
彼ほど勇猛、英武な事も、また世に少なかった。
古の和漢の良将といえども、彼を越えることはないだろう。
まさしく天が下した英材であり、
本朝においてこの右に立てる人は殆ど居ないと言える。
秀吉が播州に初めて来た時から、これを助け、遂に天下を平らげたのも、
ひとえに孝高の功である。
黒田孝高を知る人は、孝高はよく秀吉を助け、天下を平らげたと思っている。
黒田孝高を知らない人は、秀吉が孝高を取り立てたと思っている。
例えれば、漢の張良が高祖を助け、
明の劉基が太祖を補佐した事に似ているが、
その功はそれらを越えているのだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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