慶長9年(1604)3月の事。
伏見にて隠居していた黒田如水がにわかに病の床に着いた。
この時、息子の黒田長政は国元の筑前に居たが、
注進を聞き取るものも取り敢えず早舟に乗り込み、
大阪に向かいそこから伏見へと急ぎに急いだ。
そのおかげか長政、如水が未だ生きているうちに対面することが出来た。
如水は、
「もうお前に会うことは出来ないと思っていたが、
親子の奇縁と言うものが未だ尽きていなかったのだろう。
思いがけなく対面することが出来た。こんなに嬉しいことはないよ。」
と喜んだ。そして、
「わしが衰弱しきらないうちに、お前には色々と話しておきたいことがある。
ともかくも先に行水をして旅の埃を取られよ。」
これに長政、畏れ入り候と行水のため退室した。
彼が出た後、如水は、
『あいつめ、きっと注進で俺はもう2,3日も持たない、などと聞いたな。
それで胸をつまらせ食事もろくにとっていないようだ。』
と、長政の様子を見て取った。そして長政が帰ってくると
「筑前守(長政)、お前は今日早くにここに着いたが、
食事を未だとっていないだろう?
食が進まないなどというのは筑前守には似合わないことだ。
女子供が『お父様お弱り候』などと悲しんで食事も取れなくなる、
ということはあっても良い。
が、お前ほどの身分の者がそうであってはならない。
お前はこういう時、少しも苦しさや悲しみを表に出さず、
全く平静にしていることこそ必要なのだ!」
そう、長政に諭した。
これに長政
「…いえ、枚方に着いた時弁当を取りました。」
食っていた。
長政、父が心配で飯も喉に通らない、ということはなかったらしい。
ところが如水、これに激怒。
「そ、そういうところが駄目なのだお前は!!
お前ほどの身分の人間なら!
こういう時には食べたくなくても黙って1日に5度6度と食事を取るべきなのだ!!
というわけで今から飯を食え!」
「え?あ、はあ…。」
長政かしこまり、先の弁当も未だ腹に残っている中、
無理食いにたっぷりと食事をさせられたそうだ。
如水その様子を見て、
「うむうむ。そうでなくてはいけない。」
と大満足の体。
そこからようやく、苦しくなるほど食事をさせられた長政に本題の話を始めた、
とのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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