如水は、世捨て人のようであった☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の後、黒田如水は筑前においては世捨て人のようであった。
全く浮世を捨て切ったと言って、召し使っていた侍たちも、

筑前守(長政)に揃えて渡した。
その時、無足者(知行を持たない家臣)のうち確かな者には知行をこれだけ、

知行を与えるほどではない者には扶持・切米をどれだけ、

知行を取っている者には相応に加増を取らせ、

その者たちを安堵させるようにして、如水自身は知行も家臣もいらない、

と言い渡した。

ところで如水の弟に黒田養心という人が居た。

養心は病弱で役に立つような人ではなかったので、
2千石で召し置かれていたのだが、この養心に1万石を取らせ、

宗像郡のうち津屋崎という所、
ここは城はないが要害だというのでこの場所に置き、

如水もこの近所に小屋同然の家を作らせ、
小姓など知行取り10人ほど、徒者少々にてそこに暮らしていた。
それから博多においては、博多町屋敷の空き地に、

表向きは町家に拵えた屋敷を造り、
いかにも逼塞の体に、殊勝に見せていた。

さてさて、そのころ如水は太宰府天神信仰の体にて、

時折太宰府まで出かけていたが、そのあたりの山陰、
いかにも閑静な山中に茶屋を造り、その近辺、あの藪の中、

この森の陰と屋敷を造らせ、
ここに屈強の侍60余騎を置いた。
さらに牢人衆を町中に住まわせ、彼らを商売人に紛れさせた。

また馬敷という深山からは材木が採れた。

如水は、ここは涼しい山中であり、

また中間どもに材木を採らせるためとしてこの山中に小屋を掛け、

定番だのなんだのと名目を付けて侍どもを隠し置きいた。

さらに博多の町外れに広い空き地があるのを見つけると、

如水は長政に、鷹師どもをここに置くようにと指図した。

 

これに長政は、
「その場所は城から1里ばかりも離れていて不自由な場所です。

鷹師であればもっと近くに置きましょう。」
と反対したが、如水は、

「悪いようにはせぬ!とにかく私のいう通りにしろ!」

こう頻りに言ってきたので致し方なくそこに鷹師を置くようにすると、

それに紛らわして家来も馬も持っていないような小知行の者たちに、

「人も要らず、まして馬も無用である!家をあの地に、町家のようにして造れ!」

そのように申し付けた。この下知に従い、指図通りに、

この小知行の者たちを町人とも鷹師とも解らないような体で召し置き、

牢人も少々紛らわせた。

この他、ここの新田・あそこの山守などと名づけ、

あるいは牢人のようにして人を置き、
突然の合戦などで人が必要な時は、

いつでも騎馬の侍200騎余りが、

確かな者たちを引き連れて集結するようにしていた。
それなのに普段は人も持たず、逼塞一遍の体で居たのだ。

全く恐ろしい覚悟である。

ある者の言う、奮馬は死するまでと言うのは、この様なことを言うのだろう。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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