日向侵攻と稲津掃部助☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の時の事。

九州では黒田如水が着々と西軍を切り崩していた。
 

東軍に属していた稲津掃部助は、如水の下に付き、

彼の指示により先鋒として島津領へ進行し、
日向を攻め取る準備をしていた。

さて、関ヶ原の決戦は、一日で終わる。

家康は全国に戦闘の停止を命じた。

その命令は如水のところにも来た。が、無視した。
既成事実さえ作ってしまえば、後はどうとでもなる。

そのように考えたようだ。
彼は日向侵攻作戦を密かに進めた。

だがそれは、家康の諜報に引っかかった。

「如水が日向で不審な行動をしている。」

息子長政を通じ家康から、如水の行動に牽制がかけられた。

如水は火遊びが過ぎたのだ。
そこで彼はこう申し開きをした。

「日向での事、私は一切かかわっておりません。

あれは全て稲津掃部助が企み、独断でやった事。

真にけしからん所業であります。」

稲津掃部助は如水によってあっさり切り捨てられた。

彼はそうとは知らない間に、前線に置き去りにされたのである。

そして如水の本軍を待つ清武城において、

島津の逆襲に遭い、討ち死にしたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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