慶長5年(1600)、関ヶ原の戦役が進行する中。
九州では黒田如水が大友義統との戦い、
すなわち石垣原の戦いを直前に控えていた。
ここで如水は、士卒に言い聞かせることがあると、
軍勢9千あまりを広野にみな留め置き、
そこで大声で語りかけた。
「今度上方において治部少輔(石田三成)が乱を起こし、
内府公(徳川家康)を敵としたという事が聞こえてきた。
治部少輔は、天性知恵なき臆病者である!
その上総大将も居ない寄り合いの軍勢であるから、
諸大将は下知を受けず、諸人一致せず、彼らは必ず敗軍するであろう!
殊に、内府公は古今無双の良将であり、その下に属する味方も、
みな優れたる武将、勇士が多く、
心も一同して内府公の御下知に従うのであるから、
必ず、味方の勝利疑いなきこと、
この手に既に握ったかのように思われる!
これにより、それがしは今回内府公に一味して、
九州を平らげんと思う故に、先に豊後に出兵し、
かの国にある敵どもを討ち従えた後、残る国々を治めるつもりである。
豊後の城はその大半が留守であり、
これを接収するのはいと容易きことである。
そんな中、大友義統がかつて本国であった豊後を賜り、
こちらに下ったとの情報が聞こえてきた。
太閤殿下の時代、私は大友の取次をした関係があったので、
今回治部少輔に与することをやめさせ、
降参させるため、上関まで使いを遣わしたのであるが、これに同心しなかった。
まったく痴愚の至りであり、もうどうしようもない!
まず、彼を退治するための出陣する!
義統は先年、朝鮮において大明人が来るという情報を聞き、
敵をも見ずに逃げ退いたような臆病者である!
それゆえに豊後国を召し上げられ、毛利に預けられ、
居るのかいないのか解らないような状態で居たが、
今回豊後に下り、私に対して挙兵するとは、実に片腹痛きことである。
今回出陣する士卒たちよ、良く心得よ!
義統は大臆病者である!
その下にある家人どもも、類を以って集まり、
上を学ぶ下であるのだから、皆臆病者と心得よ!
大友の人数が例え何万騎あったとしても、
今度の合戦は百に一つも負けることはない!
相手を強敵だと思って躊躇してはならない!
よいか!わたしは九州を片端から平らげようと思っているのだ!
だから、合戦は今回に限ったものではない!
鑓、薙刀、刀、脇差しの刃をたしなんで、大事の時の用にたてよ!
大友の兵たちは、武器を無駄に破損させないよう、
生け捕りにするか、峰打ちにして打ち倒してやれ!
総じて鷹を使う時、それが逸物であっても、
最初から鶴を取らせるようなことはしない。
先ず鷺からはじめて、その後、鶴を取れるようにしていくのだ。
それと同じことである。
大友の人数は鷺だ!
若き者共もよくこれを捕らえ、諸士にも手柄をさせるであろう!
相手は弱敵なのだから、
棒で雪を撫でるように何の造作もなく一時に打ち払うであろう。
そして、大友義統を捕虜にせよ!
彼を生け捕ったものには、直参や譜代に限らない、
例え下人であっても褒美として領地千石を与える!
おのおの、随分精を出して手柄をいたせ!
その功により、一層の恩賞を与えるであろう。
九州には手強い敵は居ない!
豊後を打ち従えてしまえば、九州を治めること、
その勢いに乗じて実に簡単に成せるであろう。さあ、はや打ち立て!!」
これを聞いた者達は、いすれも心の勇みが強くなり、
たった今からでも敵を手の中で取り拉ぐように思ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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