慶長元年(1596)12月下旬のことである。
朝鮮の役で渡海していた伊東祐兵は、朝鮮の安骨浦より、
黒田如水に相談の事があって、
家臣の借屋原甚右衛門尉満鎮を豊後へと遣いさせた。
豊後に到着した借屋原を如水は近くに召し、
「さてさて、良いところに参った。
実は私の方から遣いをやって、申したい事があったのだ。
それはな、太閤殿下が、近頃殊の他に衰えられ、
かつ、今の日本国内には様々な怪異が起こっており、
遠からぬ内に世の中は、又々騒がしくなるであろう。
そうなった時には、だ。民部殿(伊東祐兵)は小身であるから、
国元のこと、甚だ心もとなく感じられるだろう。
だから天下の事が、未だ起こらない内に片時も早く、島津家と協議をし、
縁辺を取り結ぶか、又は島津の麾下に入ることを約束するかして、
互いに神文を取り交わすべきであろう。
この旨を、早々に帰って民部殿に伝えてほしい。」
こうして借屋原は急ぎ豊前を立って、明くる慶長2年正月中旬、
安骨浦に帰還し、伊東祐兵に如水の口上の内容を伝えた。
これを聞いた伊東祐兵は非常に悦び、
早速加徳島の島津陣中に赴き、兵庫頭(島津義弘)と会談し、
『以後堅く唇歯の好みを結び、互いに違背あるべからず』
との神文を取り交わした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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