秀吉の九州征伐後、黒田孝高は豊前中津を与えられたが、
国人衆が一揆を起こし、一揆勢との戦いが続いていた。
そこへ、吉川広家が援軍を率いてやってきて、
豊前一揆の首魁の一人である城井鎮房がこもる城井谷を攻めんと、
近辺にある萱切山に一万騎で屯した。
孝高、長政も二千騎を率い合流する。
人に優れた勇将である鎮房を助けるべく一揆勢も示し合わせて三千ほど馳せ集まり、
そうこうするうち小競り合いから戦が始まろうとしていた。
広家は味方に敵の伏兵をあしらう策を与えるなどして備えを整えて戦い、
段々と敵を追いつめた。
ところが頃やよし鎮房の旗本を切り崩さんと襲いかかろうとした時、
黒田孝高がこれを止めた。
広家には理由がわからなかったが、孝高は説明を求められても、
応じず止めるばかりであったので、これに従って味方を引き上げさせた。
鎮房にもこれを追い討つ余裕はなく引き上げていった。
この時、広家の予想通り伏せていた敵兵が襲いかかってきたが、
指示を受けていた家臣たちはこれを鉄砲で撃ち立てて退散させた。
この後、広家は城井谷に進み入り陣をしいて城井の城を堅く囲んだ。
城井鎮房は本領安堵を秀吉に取成そうという説得に応じて降伏する。
後日、広家が孝高に問いかけた。
「先日私が萱切山で一戦しようとした時、あなたはしきりに止められましたね。
老巧の人の言うことですし、父からも万事あなたのご指示に従うようにと、
言われておりましたのでどのような仰せだろうと背くまいと思い、
戦をしかけませんでした。
どうしてあの時私を止められたのでしょうか?」
すると孝高はにっこりと笑ってこう答えた。
「先日の戦、仕掛ければ必ずあなたが勝ったでしょう。だから止めたのですよ。」
広家は訝しく問う。
「必ず勝つと思って止められた理由はなんです?」
「それはですね、あなたが大勝利をおさめられたとするでしょう。
すると先日、息子の長政が敵を侮って負けた事と比べられ、
渭水の濁った水が水の清水が合流して濁りを増すように、
勝劣がはっきり見えてしまうと思って堅くお止めしました。
あなたと私は兄弟の契りを交わした仲とはいえ、
実の子に対する愛にはかなわないということですよ。」
広家は、
「これはたばかられてしまいました、そうと気づいていれば止めるのを、
ふりきって戦っていましたものを。」
と手をうち大笑いした。
二人は断金の交わりを結ぶ親友同士であったので、
孝高は心底を隠さず打ち明け、
広家も騙されて恨まなかったということだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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