見たか治部少☆ | げむおた街道をゆく

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天正15年(1587)4月、関白秀吉の九州攻めに伴ない、

黒田官兵衛は豊臣秀長の先鋒として日向から侵攻した。
途中、山田有信が籠もる要衝・高城を包囲した秀長軍だったが、

島津軍は高城近くの財部城からしきりに兵を出し、
地の利を生かして思わぬ所から秀長軍の陣を襲い、上方勢を悩ませた。

「拙者が財部城近く進み、敵の隠れ道を探って参ります。

探った後は伏兵を置き、潜んで来た敵を狩れば良い。」
そう言ったのは、若干19歳の官兵衛嫡男・吉兵衛長政だった。
「まだ若い長政殿に、そんな大事を任せるのは、いかがなものか?」

秀長から派遣されて来た石田三成と尾藤知宣は、
難色を示したが、官兵衛とその副将・蜂須賀家政は、長政の提案を良しとした。

栗山・母里等、老巧の士を引き連れ財部城の周りを調べた長政は、

さらに敵城近く調べんと、耳川を渡って進んだ。

と、その時、財部城の門が開き、赤い装束の武者が飛び出して来ると、

それに呼応するように、近隣の山陰から島津軍の足軽隊が、

鬨の声を上げて突き進んで来た。

長政隊は耳川を渡り返すべく、急いで退き上げた。

「長政殿は若いに似ず、逃げるのが上手い。」
後方から見ていた三成が、褒めるとも皮肉ともつかぬ言葉を洩らして笑ったが、

父・官兵衛は、
「ほう、治部少には長政が『逃げた』と見えるか。まあ、もうしばらく見ていなされ。」

と言うのみだった。

島津軍の足軽を打ち払いつつ、やっと長政隊は耳川を渡って逃げ切ったように見えた、

その時。

「良き時分ぞ、かかれっ!!」
長政の号令が下るや、その部隊は身を翻し、一斉に島津軍へ襲いかかった。

調子に乗って長政隊を追っていた島津軍は、

渡河の途中をいきなり叩かれて崩れ去り、財部城目がけて逃げて行った。

「・・・・・。」
「見たか治部少!『長政は良く逃げる』とお主は笑ったが、

あれはわざと敵を川まで引き寄せ、討つための知略よ。
お主もわが子をよーく見て、殿軍など任された時の手本にされよ!」
この勲功等により黒田親子は豊前中津12万5千石を授かり、

のちの繁栄の基礎を築くことになる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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