殿のお花見初め☆ | げむおた街道をゆく

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天正10年(1582)、

本能寺の変を聞き備中高松より撤退、無事姫路城に戻った羽柴秀吉は、
信長の弔い合戦として、明智光秀討伐を宣言する。

 

そして家臣たちの前で、その心を語った。

「わしはこの姫路で籠城する準備は、一切しない覚悟である。
たった今、金奉行や蔵奉行たちを呼んでその旨、固く申し付けた。
今回は、大博打を打ちに行くのだ!」

これを聞いた堀久太郎秀政、

「あなたがそう考えておられるように、今の世間の雰囲気は、

あなたに取って博打の成目が来ています。風も順風のように見えます。

今こそ、帆を上げるべき時でしょう。」

すると御伽衆の大村由己、

「その通り!世間の様子、物に例えれば桜の名木が、只今花の盛りと見えまする。
花見をするには今が最適でございましょう。」

これに黒田官兵衛、差出て申し上げるには、

「先に高松で信長公切腹の報を聞いたとき、

私は”今こそ天下取りの機会である”と申しましたが、
その事、『主人に対して言い難いことを、よくも言ったものだ。』

などと、人々が囁いているように承っております。

ですがあの時、殿様(秀吉)には、

深くご愁歎なさっていたようには見えましたが、

私はその心の中を推量いたし、ああ言ったのです。

殿に取って目出度いことが起こりました。今こそ博打を打つべき時です。
先程、大村由己も申し上げたとおり、吉野の花も今や盛り、

桜の花は、寒い季節に見たいと思っても、

時が来なければ絶対に見ることの出来ない花であります。
春の温かい雨や風を受け、自然に咲きいずるものであるため、

我々人間の心任せには出来ません。

さてこの度は光秀と天下分け目のご合戦と成ること、もはや確実です。
なんと目出度いことでしょうか。

この合戦こそ、殿のお花見初めであると、私は考えております。」

秀吉はこれに対して何も言わなかったが、

自分が心中に考えていることと一致していると思ったのか、

ただニコリと笑った、とのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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ごきげんよう!