羽柴秀吉が、毛利と備中にて対陣している時、
長谷川宗仁より織田信長が生害したとの事が報告された。
これは六月二日の午の刻(正午ごろ)京都から飛脚が出され、
三日子の刻(午後九時頃)に秀吉の陣所に到着したのである。
秀吉は腹心の者達を呼んで密かにこの書状を見せ、
それぞれの了見を尋ねた。
しかしいずれも、不意の変のため然とした答えをすることも出来ず、
ただただ当惑するばかりであった。
そんな中、黒田孝高(官兵衛)一人はこの書状を見て、
ありきたりの事など一言も言わず、秀吉の膝元に這い寄り、
座を叩いて大笑いし、
「さてさて、天の加護を得られました!もはや殿のお心の儘に成りますぞ!」
(扨々天の加護を得させ給ひぬ最早御心の儘に成りたり)
そう申し上げた。
衆人に異なる器量である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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