仇を恩で返す☆ | げむおた街道をゆく

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天正7年(1579)10月19日、

信長に反乱した荒木村重の有岡城が陥落すると、

荒木に同心した小寺政職は、自身への追求は逃れ難いと御着城を出奔し、

中国所々を流浪しながら信長に対し赦免を乞うたが、

一旦味方に属しながら敵に寝返ったことへの信長の憤りは激しく、

それを許すことは無かった。

その後、備後の鞆に居住し、天正十年に卒した。

小寺政職は男子一人、その後を付いて加賀守氏職と称した。

その他、娘が数人あった。
小寺の家が滅び、その子がこのように零落したことを、

黒田宗円・官兵衛親子は深く嘆き、
ある時秀吉に申し上げた。

「小寺政職の不義によってその家はすでに滅び、

流浪の身と成って、終に死去いたしました。
然る上は、その子供の罪は御免して頂けないでしょうか?
彼を召し寄せ、養育したいと考えています。」

秀吉は、旧好を忘れぬ志に感じ入り、その願いを許した。

これによって官兵衛は家臣の衣笠久右衛門を使いとして備後の鞆に派遣し、

小寺氏職を迎えて懇ろに養育した。

世の人々は、
『小寺政職は信長公に背き、罪なき官兵衛を疑い、

その身を危うくさせたと言うのに、
今その旧悪を忘れ、却ってこのように情深く憐憫される事。
誠に、恩を以って仇を報ずるとはかかる事である。』
と、感じ思ったそうである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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