才知を以って☆ | げむおた街道をゆく

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天正10年(1582)3月、羽柴秀吉は清水宗治の籠もる備中高松城を攻める。
しかし秀吉は、この城を力攻めにすると味方に多くの損害が出ると見て、
高松城の、地勢が低く二方が山に近く、またその中に川が流れている地形を見て、
水攻めにするしかないと、

城の二方30余町(約30メートル弱)の間に堤を作らせた。

その堤の内に、大小7つの川より水を流し入れた。

水は一ヶ所に落ち合って堤の入り口まで、
4,50間(約40メートル前後)というところで大河と成って堤を破壊した。
これをせき止めようと。

大石を数多く投げ入れたが、水の勢いが強く、2,30人で、
持つような石でも容易く流された。
また枝葉の多く茂った大木を多く伐って川上につなげて流しかけ、

その他様々に手立てを変えて流れを抑えようとしたが、

水の勢いは強く、竹木土石、尽く押し流され、どうしようもなかった。

秀吉はこれを大いに憂い、黒田官兵衛に、
「どうにか才覚を以って、緊急に堤を築き立ててほしい。」
と仰せ付けた。

官兵衛はこれを受け、川下にある大船を、

人夫を多く派遣して2,30艘引き上げさせ、
水上に錨を入れて、土手の間に、この2,30の船を隙間もなく並べて繋ぎ止め、
その中に大石を多く積み、そこで船の底を破ると、船はたちまち沈んだ。

そして、かねてよりその辺りの家屋を破壊して、

竹木土石を多く集め置いていたのであるが、
それを沈んだ船に投げ入れた。

これによって即座に水をせき止め、その後、土石を以って難なく堤を築き立てた。

はじめこの堤を築こうとし、水の勢いが強くてせき止めかねたのを、
官兵衛のこのような巧みによって終に完成させたことに、

秀吉の御感は甚だしいものであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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