彼が陪臣であるにもかかわらず☆ | げむおた街道をゆく

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天正9年3月26日、若狭の逸見駿河守(昌経)が病死した。

彼の所領は八千石であったが、
相続すべき実子が居なかったため、織田信長の命により、

そのうち三千石は武田孫八郎(元明)へ、
残りの五千石は溝口竹(秀勝)に与えられた。

 

この溝口は、後に受領して、伯耆守と名乗ったが、
彼は惟住五郎左衛門尉(丹羽長秀)が幼少の頃より取り立てた者で、

普段より正意誠心にして武道を心がけ、

何事にも心を尽くす人物であったため、

信長は彼が陪臣であるにもかかわらず、
五千石を与えたのである。

このように信長は、陪臣であってもそういった人物であるなら賞禄を与えたため、

彼の配下は上下の区別なく功に励むこと、日々新にして、日々に新に、

また日々に新たなりとも申すような雰囲気であった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 第六天魔王・織田信長、目次

 

 

 

 

 

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