信長の度量☆ | げむおた街道をゆく

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織田信長は、二十年あまり、憤怒を抑えていたが、

石山本願寺が和睦し開城すると、
天下はここに平均成った。

すると天正八年、信長は林佐渡守を流罪とした。
彼がかつて、名古屋において信長を謀ろうとした罪によってであった。
また安藤伊賀守を流罪とした。
これは、彼がかつて武田信玄に内通したためであった。

小さなことであっても、自分が恨みに思ったことを、

後に自身が世に盛んになってから、
報復することを考えるのは、おおよそその人に度量があるとはいい難い。
 

我が身の遺恨故に人を害し、損なおうというのは、大丈夫の心とはいい難い。

織田信長には、こう言った誤りがあった故に、

荒木村重、松永久秀らは安んずること出来ず、
天下に乱逆を成した。

 

惟任光秀による禍も、この故であると言えるだろう。

一方秀吉は、毛利が柴田と内通し、

室町殿(足利義昭)を再び京に復帰させようとしたことを知りながら、

後に毛利や義昭に対し、聊かもそういった気色を見せなかった。
信長と比べ、その度量大きく違うと言うべきであろう。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 第六天魔王・織田信長、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!