織田信長は、いつの頃からか相撲好きになっていた。
どれくらい好きかというと、暇さえあれば一年に二、三回、
相撲大会を開くほどだった。
信長は優勝した者、健闘した者、気に入った者たちに褒美を与え、
時には家臣にしてくれたので参加者が千人を越えることもあった。
取り立てられた者の中には素姓の怪しい、侍ではないであろう者もいて、
秀吉のようにとはいかないが立身出世のチャンスだった。
宮居眼左衛門も相撲大会で活躍した男であった。
信長は彼を賞して重藤の弓を授けた。
しかし彼はそれ以来、相撲をぱったり辞めてしまう。
「なぜ相撲をとらないのか。」
と信長は宮居に疑問をぶつけた。
彼の答えは、
「相撲は強いから勝つというものではないのです。
あの時は勝ちましたが、今度は負けて弓を取られるかもしれません。
もし私を負かした者があなた様の敵になったとしたら、
せっかくの名誉が虚しくなることでしょう。」
というものだった。
道理にかなうと思った信長は、それ以来、弓を与えなくなったそうだ。
安土城跡の近くに眼左衛門という地名があるらしいが、
その由来は、そこに信長に召し抱えられた宮居の屋敷があったからだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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