織田信長公ご自身は、金石をも欺くほど、信を堅く守る人物であった。
しかしそれ故に、人の非を以ての外に悪まれた。
そして臣の職分に違う事があれば、
殊に記憶し忘れること無く、一旦はそれを宥しても、
腹の中に籠め、多くの年月を経て
何人かは流罪に処せられた。
一善を賞する時は衆も善を励み、一悪を罰する時は衆は自らの悪を恐れる。
況やその類悪であればなおさらである。
これを以て惟任日向守(明智光秀)は、己がこれまでした事を顧みて、
非義が累積していると感じた。
しかし、
「それを弁解した所で宥してはもらえないだろう、
今はそのような色が見えなくても、今後必ず戒められるだろう。」
そう思い究め、却って逆寄せして弑したのだ。
自分は忠を尽くしても、人が己に忠を尽くすことを欲するべきではない、
という言葉があるが、これが至当であろう。
上下共に旧怨というものは、義を優先して捨てるべきなのだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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