伊勢神宮☆ | げむおた街道をゆく

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伊勢神宮といえば、現在でも日本の神社の代表格。

ここには、一定期間で全ての社殿を造りなおす、遷宮という独特の行事がある。
が、南北朝から戦国時代にかけての乱世、その風習は廃れていた。
時の伊勢神宮の上部大夫は、遷宮を復活させたいと織田信長に援助を願い出た。

天正十年の事である。
これを聞いて信長は上部大夫に会い、

「費用はいかほど必要なのか?」

と聞いた。
 

大夫は、

「千貫あれば、あとは勧進(寄付)でなんとかなると思います。」

と伝えると……。

信長、

「いや、それは甘い。一昨年に八幡宮を直したのだが。

そのときも見積もりは三百貫程度だったんだが……。

最終的には、千貫以上かかった。」
 

上部大夫、「は、はぁ。」
信長、「だから今回もその程度じゃ足りないだろう。」
上部大夫、「……。」
信長、

「費用が不足して、民百姓の迷惑になるような事は、あってはならないだろう。」

神社の行事で民百姓が困る、とは現代の感覚だとちょっと奇妙だが。

これは造営で労力を負担する者達を心配したのか。
いずれにせよ信長は、気前よく三千貫という申し出の三倍の資金を提示した。
その上、必要があればさらに資金を出すと伝えたから、上部大夫は大喜びであった。

しかも信長は、息子の信忠にまで、

「岐阜城の鳥目銭の縄目を結び直す際、

伊勢神宮の遷宮にまだ資金が必要なら分けてやれ。」

と命じている。
(当時は銭を縄でまとめていたため、縄が悪くなる度に取り替える必要があった)

「魔王」イメージと違い宗教に理解があり庶民の事にも気が回る信長、

とても気前がいい話……。

なのだが、実は綺麗には終わらなかった。
そう、この年の六月に本能寺の変が起こり、信長は死んでしまうのだ。
結局、伊勢神宮の遷宮復活は、天正13年にまでずれ込んでようやく成った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 第六天魔王・織田信長、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!