正月五日、
「節振舞あるべし。」
と言うことで、佳例にまかせ、諸大名を集められた。
さて、種々の饗応あって後、夜に入ると信長公より、
「大盃にて、上戸も下戸も押し並べて給うべし。」
と仰せになり、
「余興として順に舞をするように。」
と言われ、面々は嗜んでいた芸を以て舞い歌い入り乱れ、
各々前後も解らぬほどの大酒盛りとなった。
このような所に、柴田修理介(勝家)が飲もうとしていた大盃を見て、
信長公は、
「今一つ明智光秀に指すように。」
と仰せになった。
「畏まって候。」
と勝家は一息に飲み干し、これを日向守(光秀)に渡したところ、
光秀は、
「これは困ったことだ、たった今ようやくその盃を飲み干して、
貴殿に回したというのに、またそこから給わるという事、
どうやって給わればいいのか。どうか御免を頂きたい。」
と、頭を畳につけて辞した。
これに修理介、
「私もそう思うが、殿の御意によって指すのだ。否応有るべからす。」
「如何ほど御意にても、もはや塞ぎ詰まっています。御宥免頂きたい。」
そう申して、座敷の隙間から次の間へと逃げた。
その時、信長公は座敷を立った。
光秀が次の間でうつ伏せにひれ伏していると、その首を取って押し付け、
御脇差を引き抜き、
「いかに、きんかん頭、飲むのか飲まないのか、一口に返事をせよ。
飲まぬと言うならこの脇差の切っ先を、
後ろから喉まで飲ませてやろう。
光秀いかに、いかに!?」
これを聞いて光秀も心乱れるが、この有様に酒の酔も俄に醒め、
「ああ殿様、切っ先がひやひやと見に覚え候。
さりとては御脇差御ゆるし候へ。
死に申すことは、今少し早うございます。」
そう申し上げる。
これに信長公、
「そういう事なら、仰せを背かず飲むべきか、さに非ずば、
脇差を飲ますべきか、何れを飲むのか、
はやはや返事をせよ。いかに、きんかん頭!」
そう言いながら、脇差のみねにてかなたこなたを撫で回した。
光秀は気も魂も消える心地して
「御ゆるし候へ、起き上がって、御意のごとく御酒を飲みましょう。」
「なるほど、それならば立ち退こう。
もし飲めなければ、今度は脇差をしかと飲ますぞ!」
そう仰せになって立ち退かれると、光秀は顔の色青く、
目の色、顔つきも変わって起き上がり、かの大盃を
取って戴き、酒を請けた。
そしてようやく九分ほど飲み及んだ時、信長公ご覧になり、
「あれを見よ人々、何ほど詰まりても、酒は自由なる物にて飲めるものだ。
餅や飯などは、詰まった時はどうあっても食せない。
私は饗宴の亭主役をつとめて、飲ませることが面白いのだ。」
そう仰せになると、座中一同、どっと興じた。
かくして夜も、はや東が白んでくると、信長公は簾中へ下がられた。
これを見て、諸侍は、我先にと帰っていった。
光秀は宿所に帰ってつらつらと考えた。
「助かった。危うき命を保つことが出来た。
諸侍数多ある中に、私一人がこのような目に合わされること、
今回も含めて三度目である。
これは普段から、私を殺そうと折を待っているのではないだろうか。
酒というものは、必ず心底を打ち明けるものであれば、
あのようにされたのだろう。
『思う内に有れば色外にあらはるる。』
という言葉はまさにこれだ。重ねてよくよく心得ておくべきだ。」
この事があってから、光秀は事(謀反)を思い立たれたと言われる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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