永禄の年に、信長は義兵を挙げて以来、
上方が治まる以前には、松永弾正を味方にしていたが、
今では松永と石山本願寺を破らなければ上方は平穏にならないため、
松永を滅ぼそうとした。
とはいえ、味方に降った者をこちらから裏切るわけにもいかないので、
松永の方から裏切らせようとした。
天正四年、近江の安土城ができあがったので信長はそこへ移った。
翌五年、松永が安土に参上した時、徳川家康も来ていた。
信長が弾正に向かって言うには、
「この人は東国の名将である。武田信玄を抑えて西へ攻めさせず、
その子の勝頼を長篠で破り、威を関東に勢力を振るっている良将である。」
家康に向かって言うには、
「この人は松永弾正である。
この人も忍びがたいことを忍んで自分に仕えている人だ。
先年、公方の義輝公を殺し奉り、我が恩の深い三好家を滅ぼし、奈良の大仏殿を焼いた。
この三逆はなかなか人にはできないことである。
弾正ひとりがそれをしたのだ。」
と言うと、弾正は平伏し、面目を失い、恥と憤りで汗を流した。
松永は城から帰る途中、小幡・伏見の里に狼煙をあげ、
大坂の付城の兵を率いて大和の信貴山城に立てこもった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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