元亀四年三月末、
織田信長は、吉田兼見に諮問をした。
「そなたの父の兼右が、
『南都(奈良)、北領(比叡山)が滅亡するなら、王城にも祟りがある』
と言ったそうだが、
それは本当であるか?」
兼見「はい?まことでございます。」
信長「それは結構なことである。」
それを聞いて信長は喜び、兼見に褒美まで渡した。
次の日、有名な信長による上京焼き討ちが起こった。
当時対立していた将軍、足利義昭を脅すためにである。
信長は先の、吉田兼右の言葉に、
南都は、松永久秀の東大寺焼き討ち、北嶺は自身の比叡山焼き討ちをあてはめ、
「上京焼き討ちは信長が恣意的にやったことではなく、
予言されていた運命であり、全く仕方の無いことであった。」
と、喧伝したと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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