上洛した織田信長が、
茶器の名物を強制的に買い上げる、
「名物狩り」をしたことは有名である。
特に裕福な商人の住む新在家に住む上京では、
豪商の池上如慶や江村氏、大文字屋、祐乗坊、
法王寺、佐野氏などが、
天下の名物というべき茶器を強制的に提出させられた。
この事や、二条城建築の莫大な負担を課せられたことなどで、
当然ながら上京の者達の信長への感情は大いに悪化した。
これを知る信長は、
足利義昭との対立のさい、
上京を義昭に協力する者として焼き討ちをすると宣言。
驚いた上京の町衆は、ルイス・フロイスの記録によれば、
銀1300枚を贈り許しを乞うたが、まるで聞き入れられず、
信長は京の周辺に住む『土民、百姓』に上京への攻撃を命じた。
元亀4年(1573)4月、焼き討ちを受けた上京は、
このような有様であったという。
『(略奪者たちは)剥ぎ取り、土蔵を打ち壊し、或いは討ち殺し、
踏み殺し、或いは方々に放火したので、上京は一軒も残らず焼失した。
焔は天に輝き、煙の上るその下からは、
大小様々な泣き声、叫び声、わめき声が響き、
それは地獄と変わらない情景であった。』
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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