浅井・朝倉連合軍の侵攻☆ | げむおた街道をゆく

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元亀元年、浅井・朝倉連合軍の侵攻を受け、
森可成は、信長に急使を送った上で、

織田信治、青地茂綱とともに出陣した。
 

敵軍は最終的には三万余の大軍、森勢は宇佐山城に数を残したためわずか千。
敵の侵攻速度の遅延を目的とした決死の出陣である。

初戦は撃退に成功するも、

一向宗の支援を受けた連合軍の猛攻で、
三将相次いで討ち死にとなり、敗北。
 

森家の軍勢は各務、武藤、林、肥田の四人が統率して、

宇佐山城に退却に成功した。

宇佐山城は四人の指揮よろしきをえて信長の救援が来るまでの数日間、
連合軍の猛攻に耐えぬいた。
信長は各務ら四人を召しだして絶賛したという。

ここまでなら時間を稼いだ可成、そして主の意に従って守り抜いた各務たちのいい話。

その後信長の元に、

宇佐山城の城代を勤めていた宇佐美左衛門が現れ不満を述べた。

「この城を守りぬいたのは全く私の功績です、
あいつらは大将を見殺しにして逃げ帰っただけなのに、

なぜ彼らに褒美を授けたのですか。」

命知らずである。
たちまち追放された。

後日信長は語った。
当時、森勝蔵は幼少でありあのような者を残していたら、

いずれ勝蔵の寝首を掻こうとしたであろう。
だから追放した、と。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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