西明寺は、滋賀県犬上郡にある天台宗の寺院。
金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる名刹だが、
ある時、滅亡の危機に瀕したことがあった。
元亀2年(1571年)、延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、
この機会に比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを計画した。
当時の西明寺は十七の諸堂、三百の僧坊を持ち、
何百人もの修行僧がいる一大寺院だったのでその対象となってしまった。
信長の命を実行するため、
佐和山城将の丹羽長秀・河尻秀隆両将が軍勢を率いて、
西明寺に迫った。
西明寺では、僧侶と周辺の住民が守備の体制を固めていた。
しかしある僧の機知により、自ら房舎に火をかけ、
全山焼失のように見せかけることで、
御本尊を守るという手を打つことにした。
僧侶らは山門近くは徹底的に燃やし、
特に本堂前では一層激しい火災を発生させたため、
丹羽、河尻はこれを確認すると満足して軍を返した。
この様にして、西明寺の本堂、御本尊・薬師如来、山奥に位置する三重塔、
二天門は焼失を免れ現在に伝わるという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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