織田信長が足利義昭を戴いた上洛戦の時、
近江北郡にて坂井右近将監の子である久蔵が、
この時わずか13歳にて鑓を合わせ、
彼の働きに義昭ならびに信長より感状が与えられた。
その頃、武田左吉という者の子も同じ13歳で、
信長の側に仕えていたが、久蔵の振る舞いを羨ましく思った。
信長は入京すると、京より青龍寺、山崎あたりに退いていた三好勢を続けて攻めた。
この時、武田左吉の子が一番に、三好の陣へ馬を入れた。
彼は敵との距離が良い所で馬より降りて闘おうと思っていたが、
其の身、未だ幼く、また馬は癇が強く逸っていたため、
降りること出来ず、
そのまま敵陣の中に引き込まれ、討たれた。
志は猛しといえども、本意無きことである。
武田左吉はこの他に子が無く、後に土方彦三郎という者の弟を養子とし、
その者は武田宮内と名乗った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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