北畠家を、織田信雄が養子として継いで、まもなくの話。
信雄に、信長からの指令が届いた。
天正四年 十一月二十五日 朝
三瀬に隠棲していた北畠具教の所に、
信雄の元から、滝川雄利、長野左京亮、軽野左京進が訪ねて来た。
いずれも、北畠家譜代の者たちであった。
具教は炬燵に入り、三歳と一歳になる、二人の子供と遊んでいた。
来客と言うことで子等を乳母にわたし、
出迎えに出た所、長野が突然、持っていた槍で具教を突いた。
滝川、軽野も刀をふるい、具教に止めを刺すと、
幼い二人の子供も、乳母ともども切り捨てた。
同じ頃。
三瀬から二十キロほど離れた田丸城では、
信雄が北畠一族の者たちを、朝食に招いていた。
具教の次男・北畠具藤をはじめ、一族の主だったものほとんどが出席していた。
和やかな食事の最中、突然、鐘が鳴り響いた。
その音と同時に、武装した刺客たちが乱入、
一斉に襲い掛かった、北畠一族の者たちは成すすべもなく、
皆、殺された。
織田による、北畠一族への粛清は、この朝のうちに完了した。
北畠の一族の中で、一人だけ、命を助けられたものがいる。
先の国主、北畠具房である。
彼は信雄の養父であったために、
「父を殺すのは外聞が悪い。」
と、助けられたのだ。
彼もまた七年後、苦悩と苦悶のうちに、34歳で世を去ったと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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