織田信長の家中の諸侍は、ひと月のうち2度ほど、
八幡講愛宕講と称して会合し、武義の詮議を行い、家職を忘れず、
武運のことを神慮に祈った。
また同士の輩は、一同に誓詞を記し、互いの非を伝えあった。
ある時、何れも寄り合いをして、願書を書いて武運を祈るとき、
「皆は何を目標にして、どのように武職を勤めたいと思っているのか、
それぞれその趣旨を書いて入札にしよう。」
という事になり、集まって書き出した所、
皆、『松野平介に劣らぬよう』『松野平介より先を致したい』
といった心がけが書かれていた。
この松野平介という人物は、美濃の三人衆に仕えていた武士であり、
後に信長に召された、
信長は、その身が陪臣であると雖も、武の職業を勤めたる者であると、
彼を非常に高く評価し、
岐阜の大手先の侍町に屋敷を与え、
「諸人の規範にもなる人物だ。」
と言った。
このため織田家の諸侍は彼を見習い勤めを甚だ励み、
それぞれに武義の職を勤め守った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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