信長って無宗教無神論者のようにイメージが語られるけど、
実際は宗教に対しては、かなり理想を求める部分がある。
フロイスらキリスト教に好意を示したのも、
逆に堕落した仏教に厳しいのも、その現われと言える。
現代からしたらいい話。
熱田大宮司千秋家は、武門からは尊崇をうけた。
その千秋家は戦国期には織田弾正忠家に与みし、
当時の当主季光は信秀の稲葉山城攻撃戦で戦死。
息子季忠は桶狭間で戦死した。
季忠の息子季信はそのときまだ母の胎内にあり、その後母の実家に預けられた。
季信が十五歳になって信長に拝謁したときにかけられた言葉。
「熱田大宮司職は神祇伯に次ぐ重要な職だが、三代にわたって戦死してしまった。
以後は戦に出るのをやめて、大宮司職に専念するように。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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