平手清秀(政秀)が自害すると、織田信長は大いに嘆き、言った。
「平手がこのようになってしまったのは、私の無道を諌めたのを、
私が用いなかったためだ!
彼の恩は父と言うにも劣るものではない。
あの日はあの場所でこのことを諌め、
またこの日はあのように諌めた。
そういう者を、深く考えず用いなかったこと、千悔恥じて居場所もない。
ああ、極諫の士を失ったのは、偏に天からも捨てられたようなものである。
しかし返らぬことは悔いても益はない。
詮ずる所、過ちを改め善に移り、軍功を励まし、
世の無道を平らげ、天下一統の仁生を施すことこそ、
これまでの非道を天命に歎くには如かじ。」
そう考え、暫くは居室に閉じこもっていた。
深く思し召されるお心の程こそ有り難いものである。
そして信長は一寺を建立し、清秀寺と号し、忌日には自ら弔われることもあり、
これを見聞きした者達は、
「荒々しい人物だったのに、打って変わったようなご風情だ。
如何様にもこの大将はただ人では無いだろう。」
と、世を挙げて口ずさんだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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