信長公の陣初め☆ | げむおた街道をゆく

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さて、吉法師殿(織田信長)を名古野(那古野)の城に差し置きなさり、

備後守殿(織田信秀)より、

林新五郎(秀貞)、平手中務(政秀)、青山与三右衛門(信昌)、内藤勝介、

この4人が家老に付けられ、もっぱら傳り立て奉った。

台所(財政)の賄いは、平手中務が奉行したということである。

吉法師殿は内外共に、ことのほか困窮しておられた。

成長に従い天王坊という寺へ毎日登山して、手習いをなされたが、

すでにその頃から気性は異相にして世の常人とは違っていた。

 

信秀は古渡の新城におられた。
台所賄は山田弥右衛門がこれを勤めた。

かくて天文15年に吉日良辰を選び、吉法師殿は四家老を召し連れ、

古渡の城へ参上なされて、その城内で元服なさった。

御歳積もって、13歳ということである。

備後守殿は怡悦なさり、上下の身分とも御祝いの酒宴をなさった。

すなわち御名を織田三郎信長と付けなさる。

翌天文16年、信長公は武者初めとして三河へと御出陣となった。

この時、信長公は紅筋の頭巾と羽織、馬鎧の出で立ちだった。

これは、平手中務が計らい申したということである。

さて三河へ至り、今川家から人数を籠め置いていた吉良大浜という場所で、

信長公は民屋を焼き払い、その日は野陣を張って一宿され、

翌日に名古野へ帰陣された。

これが信長公の陣初めである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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