織田信長公が13歳の年、寺へ修行に行かれたが、
教義などはさっぱり学ばれず、立ち振舞も悪く、
修行中の同僚が食事をする時、それを奪い取って自分が食べてしまうなど、
様々に破廉恥な行為をされること際限なく、寺の法印も持て余し、
周りの人々もあまりに粗暴なこの様子に、
「物の役に立つ人ではあるまい。
弾正忠(織田信秀)の子にしてはあまりに似つかわしくない。」
と噂した。
ある時、信長公の母君より、銭一疋が届いた。
信長公は同僚の手習い坊主や近所の子供達30人近くを集め、
竹や木の枝で鑓や刀を作り合戦ごっこをした。
信長公は隊を二つに分けると、母君からの銭を、
味方の強そうなものに先ず前金として、2銭、3銭と与え、
また残りの銭は、手柄を立てたものに分け与えると約束してて戦わせ、
思うままに叩き勝つと上機嫌で引き上げ、
その時、味方で手柄のあったものには約束通り残った銭を与えた。
寺の法印はこれを知って、
「さてさて頼もしい人物だ。将来きっと名誉ある良将となるだろう。
戦う前に大勢の中から良い者を選び出して銭を握らせ、
また済んでから与えると言う事は、
並の人間に発想できるものではない。
将来大物に成るだろう。」
と、当時13歳の信長公を褒めたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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