秀吉公が、家臣たちに言うことには、
「我ほどの幸福者は古今おらぬだろう。
そのわけだが、国持大名が天下を取ったり、
武士が国持大名になるのはもちろん幸いであろうが、
我は微賤の身より天下をとり、
位は太政大臣にまで昇り、朝鮮にまで武威を振るった。
これは大いなる幸福である。
しかし人の命は限りあるもので、我はすでに老いたため長くは天下を保てまい。
この死というものを思うと、
我の大いなる幸せや楽しみも尽きてしまい嘆き悲しむことしきりである。」
と涙ぐんだ。
家臣たちも尤もだと賛同する中、曽呂利新左衛門が出てきて、
「私はそのようには思えません。
死というものがあってこそ楽しみや幸いも出てくるのです。
神代や王代のことはともかく、
近代は頼朝が初めて臣下の身で天下をとりました。
もし頼朝の御死去がなく、そのあとの尊氏も信長公も御死去がなかったならば、
ただいま上様は天下をとってはいなかったでしょう。
そう考えると死こそ人間にとってめでたいことはございません。」
と申したところ、
秀吉公は喜び、
「まことに汝の申したとおりである。
頼朝をはじめとして今に存命で天下を守ってなさったならば、
我はこのように天下の主となり、このような楽しみはなかっただろう。」
とお感じなさったということだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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