露と落ち 露と消へにし わが身かな なにわの事も 夢のまた夢
とは、豊臣秀吉の辞世の歌であるが、これは別に最晩年に詠まれた歌ではない。
秀吉が、聚楽第にあった絶頂期の作で、孝蔵主に預けたものであると言われる。
実はこれには元となった本歌と思われる歌がある。
津の国の難波の春は夢なれや 蘆の枯れ葉に風渡るなり
という西行法師の歌である。
あまりイメージには合わないが、
秀吉も西行の厭世感や寂滅の世界を感じていたようだ。
それも絢爛豪華な聚楽第において……。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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