文禄の役の講和のため、大明・朝鮮の伝奏が来日することは、
小西行長が石田三成を通して報告していたので、
秀吉もかねてより、馳走すべきであると、
その歓待のため家臣を奔走させた。
伝奏が登城すると、秀吉は上壇に着座し、伝奏は次の間に置かれたのを、
伝奏は通詞を以って、
秀吉に訴えた。
「日本国太閤秀吉、大明国に和を乞うた以上は我らと同輩である。
そもそも私は、この冠を太閤に御免なされる勅使なのだから、
太閤の態度は無礼である。
太閤は次の間に下り、大王より御免なされた勅書、冠を頂戴すべきである。」
これを聞いた秀吉は以ての外に激怒し、
小西が表裏を言ったのだと思い、
「この冠を捨てよ!」
と命じ、庭に捨てさせた。
そして明皇帝からの勅書を台長老、哲長老に読ませ、その内容を聞いた所、
小西が報告したこととは相違し、先ほど勅使が言った通りの内容であった。
秀吉はますます機嫌を悪くし、
「この秀吉を大明国王の婿とし、朝鮮四道を割譲すると、小西が申した故に、
軍勢を釜山浦まで引き取り、
朝鮮の王子たちも返したのだ!どれほど後悔しても及ばない。小西を呼べ!!」
そして呼び出された小西行長を見ると、
「こやつの首をはねよ!」
と怒ったが、小西は色々と詫び言を申し上げ、
また石田三成からもたっての取り成しを申し上げたため、当座の難を逃れた。
しかしこれによって、異国と本朝は再び手切れとなったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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