膳も飯碗も☆ | げむおた街道をゆく

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伏見城にて、豊臣秀吉が諸大名と雑談するとき、料理の出る時間と成ると、
ここには茶の湯坊主が10人ばかり居たのであるが、

そのうちの3人から5人くらいが給仕をした。

この時、秀吉の膳は掛盤であった。

 

そして徳川家康も同じ掛盤。

飯の鉢も秀吉のものと全く同じであった。

 

その他の相伴衆は普通の鉢と平膳。

前田利家も、家康と同じ組の咄の衆であったのに、平膳であった。

徳川家康の膳は秀吉のものと少しも違わず、

雑談のときも「家康公」と呼んでいた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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