伏見城にて、豊臣秀吉が諸大名と雑談するとき、料理の出る時間と成ると、
ここには茶の湯坊主が10人ばかり居たのであるが、
そのうちの3人から5人くらいが給仕をした。
この時、秀吉の膳は掛盤であった。
そして徳川家康も同じ掛盤。
飯の鉢も秀吉のものと全く同じであった。
その他の相伴衆は普通の鉢と平膳。
前田利家も、家康と同じ組の咄の衆であったのに、平膳であった。
徳川家康の膳は秀吉のものと少しも違わず、
雑談のときも「家康公」と呼んでいた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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