その一。
京から北白川の山中越えの起点に、「子安地蔵」と呼ばれる、鎌倉時代の作と伝わる、
2メートルほどもある石仏がある。
あるときここを通りかかった豊臣秀吉、この石仏をすっかり気に入り、
これを聚楽に運び入れてしまった。
秀吉は石仏に毎日対面し大いに喜んでいた。ところがこれを運び入れて以来、
聚楽では、夜になると地響きのようなうめき声がするようになった。
「どうもこれは、石仏が北白川の里が恋しくて泣いているのだ。」
そんな噂が立ったので、再び元の場所へと安置しなおすと、
聚楽でのうめき声も、ピタリと止んだと言う。
この石仏は今も、左京区北白川東久保田町に有り、人々を見守っている。
その二。
上京にある報恩寺には、「鳴虎図」という、虎を描いた寺宝があった。
ある時豊臣秀吉がこれを見てたいへん気に入り、
「これを自分に譲るように。」と言い出した。
報恩寺も困惑したが、秀吉に逆らう事は出来ず、
結局その絵は、聚楽へと持ち帰られてしまった。
ところがその日から絵の中の虎が、夜になると吼え始めたのだ。
最初は秀吉も面白がっていたが、毎晩吼えるので眠る事ができず、
秀吉も流石に辟易し、これを寺に返した、とのことである。
この「鳴虎図」、報恩寺において、寅年の正月三が日に限り公開されている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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