天正十九年、
葛西・大崎一揆の責により、伊達政宗に知行替が発表された。
行き先は、当の一揆で荒廃し、作況三分の一となった旧葛西・大崎領。
あの政宗のこと、当然こんな裁定になんか……手も足も出なかった。
実は、同時に布告されたのが、九戸政実鎮圧の動員令。
豊臣秀次、徳川家康、蒲生氏郷、浅野長吉、石田三成、大谷吉継ら、
政権のスター軍団が続々と奥羽入り。
しかも、奥羽全大名に北奥への出陣が命ぜられ、
領国には「留守居」と称する上方軍勢が展開していったのだ。
こうして政宗、あっという間に累代の本領を取り上げられてしまった。
しかも、葛西・大崎では
「また一揆が起きたら困るよね、壊しといてあげるね♪」
と、豊臣方による徹底的な城割りが実行されたあと、
残された城も、ご丁寧に上方工法で普請しなおされていた。
ヤンチャの代償は、あまりにも大きかったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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