天正18年(1590)、
小田原征伐を完了した豊臣秀吉は、宇都宮から白河関を越え、東北へと入った。
いわゆる奥州仕置の始まりである。
8月9日、秀吉は小峰城に到着した。
秀吉が、
「この城主は何者か?」
と尋ねると、
細川忠興が、「結城上野介と申す者です。」と申し上げた。
これを聞いて秀吉は以ての外に機嫌が悪くなり、
ここに結城義親が御挨拶を申し出たが、
それを許すこと無く、領地は没収され、
伊勢の住人である関右兵衛尉(一政)に与えられた。
同日、秀吉は長沼城に入った。
城主である新国上総介(盛次)は様々に饗応をしたため、
秀吉も悦び浅からず、
御前へと召して、
「本領を安堵する。」
と言った。
これを聞いて新国盛次は嬉しさのあまり、
秀吉の側の者たちに、彼らの理解できない田舎言葉(方言)で、
繰り返し繰り返し感謝を申し上げた。
秀吉は、これに機嫌が変わり、その後、新国に何の沙汰も下さなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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