小田原陣が始まった頃の事である。
小早川隆景の家臣に、川多八助、楢崎十兵衛という、
大力無双と呼ばれた武士があった。
彼らも主人・隆景に従い、小田原陣に従軍した。
この時、川多は巨大な旗指物、
楢崎は巨大な母衣を掛けて街道を徒歩で進み、沼津までやって来た。
この頃、秀吉も沼津に陣を張っており、遥かに両人の姿を見た秀吉、
「さても大力なる者どもだ。彼らの名を聞いて参れ。」
と、近習を使わした。近習の者馬にて急ぎ彼らに追いつき、
馬上より秀吉の命令を伝え、
その姓名を問いただした。
所がこの二人、使者を無視し、さっさと過ぎ去ってしまった。
そうして近習の者が何度言っても相手にしないので、
しかたがなく秀吉の元に戻りこの事を報告した。
これを聞いた秀吉、近習を大いに叱り付けた。
「お前はきっと、馬から下りずに彼らの名を聞いたのであろう!
無礼至極の振る舞いではないか!
想像するに、彼らもそもそも騎馬の身分であろう。
だが、あの大指物や大母衣を抱えては、馬が疲れることを恐れて、
徒歩にて道を急いでいるに相違無い。
それなのにお前はそうとも考えず、あのような勇士に呼びかけるのに、
事もあろうに馬上から呼びかけたから、彼らは相手にせず行き過ぎたのだ。
もう一度取って返し、下馬して慇懃にその生命を問うて来い!」
そこで近習のもの、赤面しながらその場より取って返し、
彼らに追いついて、秀吉に言われたように、
下馬して慇懃にその姓名を尋ねたところ、案の定彼らも挨拶を返し、
それぞれ自分の姓名を名乗り、
そして悠々とその場を去った、とのことである。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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