清須会議の後、
羽柴秀吉と柴田勝家の関係は徐々に悪化したが、
この秀吉と勝家の間を和睦させたいと、
滝川一益より織田信孝へ申したてられた。
これを受けて、信孝も勝家へ異見をし、
これにより勝家は、自分の馬廻り二名と、秀吉に縁のある、
故信長の馬廻り二人を秀吉のもとに遣わし、
浅野弥兵衛(長政)を通して存念を申し入れた。
秀吉はこの使いの四人を召し出し、彼らから直に話を聞いた。
彼らは、
「現在はお互いに用に立たぬことを申し立て、
話し合いも出来ない状況です。
ですので和睦をすべきです。」
と申し上げた。
これに秀吉は答えた。
「あなた方が仰ったこと、尤もである。あなた達の異見に従おう。」
「御心良く我らの異見を了解くださったこと、
大いに喜ばしく思っております。
それではこの事に対し、墨付を下されますでしょうか?」
「墨付は、飛脚を以って直接勝家殿に届けよう。
各々はここから帰る前に、大徳寺に参詣して、
信長公へ焼香を致すように。」
と言った。
このため使者たちは、大徳寺に参詣して越前へと帰っていった。
それを確認すると秀吉は五畿衆を呼び寄せ、こう言った。
「今度、越前よりの口上を聞いたが、
これは雪中では出馬が難しい所からの策謀である。
きっと滝川一益の考えた策謀であろう。
唐においては張良、日本においては楠などの策謀であるなら、
私も騙されるかも知れないが、
柴田などに騙されるものか。」
これを聞いた者達、何れも感じ入ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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