勝頼の死を惜しむ☆ 天正十年、豊臣秀吉が、 中国地方は毛利軍と相対していたときのこと。 主君・織田信長の進攻により、 勢力が衰退していた武田勝頼が天目山で自決した報を受け、 「あたら有能な男を殺す結果になったのは残念だ。 この秀吉が長篠以降も対武田戦に従っていたならば、 強いて諌めて、勝頼には甲信二国を与えていた。 そして勝頼を関東の先陣とすれば、東国を平定する事ができたはずだ。」 と何度も繰り返して嘆いたという。 『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 こちらもよろしく → 太閤記・異聞、目次 ごきげんよう!