三木城攻め☆ | げむおた街道をゆく

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秀吉が、別所長治の三木城攻めの際のこと。

帝釈山に明要寺という寺があった。
この寺は、干し殺し真っ只中の秀吉軍をかいくぐり、

なんとか別所へ食料を運ぼうと頑張った、

毛利さんところの補給経路であった。
 

秀吉は、この補給経路を絶つために、

この寺を焼き討ちにし、
多くの武装した僧侶は逃げ出し、谷に落ちて死んでいった。


この寺には多くの侍童と稚児がいたのだが、

これらはいのちからがら山へ逃げた。


しかし、秀吉の追手は執拗に追いかけてくる。
とうとう追っ手に捕まり、ことごとく切り殺されてしまった。

哀れに思った村人等によって稚児らの亡骸をこの山頂に葬って、
墓に供える花を手折った東の峰を、花折山と呼び、
この山を、稚子ヶ墓山と呼ぶようになったといわれている。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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